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ブレトンウッズからブレトンウッズMARKⅡへ [学業]

『ブレトンウッズMARKⅡ』というのがアメリカでは使われているらしい。

ブレトンウッズ体制といえば、第二次世界大戦後の金ドル兌換性を基礎としてIMFと世銀を有した体制。しかし、ニクソンショックからプラザ合意を経て、その体制はどんどん変容していきました。で、現在はブレトンウッズMARKⅡという呼び方があるらしい。

3月2日、三○総研での記事禄作成アルバイト

後援者はド○ツ銀行のお方で、普段あまり接しない金融・経済の話を聞きました。

おもしろかったのは、この『ブレトンウッズMARKⅡ』という初めて聞く話でした。正直、「へえ~!」って思った。だって、初耳ですからね。そういうのがはやってるなんてって思ったし、金融経済の話だけど、国際政治にも十分、重要な話だった。国際政治経済学の重要性を改めて感じました。

そのブレトンウッズMARKⅡですが、その論理の概要は以下のような感じです。

特徴
1.アメリカ経由の金融経済体制のことで、現在は、アメリカは自ら経常収支赤字となることで、中国を成長させている。
2.アメリカは通貨をペックさせてやっているため、各国の為替安定をさせてあげている。とりわけアジアの変動相場を安定化に寄与しており、アジア・中国の成長を牽引している。
3.アメリカは自ら赤字を出して、他国を安定させているのだから、利益をアメリカに還流するのは当然である。
                    外貨運用
 中国経済「世界の工場戦略」  →     米国経済「世界経済の機関車」
 輸出中心の成長         ←       双子の赤字を伴う高成長 
                   基軸通貨の供給

つまり、一種のアメリカの金融覇権体制および赤字体質とアジアの成長の構造的な関係性があり、アメリカが世界経済を牽引しているというもの。これを昔のアメリカ中心の金ドル兌換性に見立てて、ブレトンウッズMARKⅡと呼んでいるようです。

そして、この構造には日本が入っていないという点も特徴的です。ひとつのJAPAN PASSINGともいえるものだということですね。日本は中国経済を支えるサブシステムとしての役割らしいです。アメリカの興味は中国にあるということです。

そのために日本に求められる問題は

1.グローバルシステムの土俵に入っていない。
2.多大な財政赤字を抱えたまま、資本の供給ができなくなるとまずい。

という2点であり、これを解消しなければならないということです。さらに、日本は「購買力平価の天井」を有しており、それによる「円の足枷」があるといった話やら、強い円の不必要性など、明治期からデータ中心に解析していく手法はさすがと思った。こういった視点を国際政治を考える際にも、かなり重要になるでしょうね。この関係性を見ると、中国とアメリカが表面的に対立しても、対立しきれないことがまざまざと分かるからです。

もちつもたれつ、相互依存


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卒論はとりあえず第1部完 [学業]

提出後に3度の修正を得て、ようやく完成版です。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~s02433ss/database/final

結局、国連とグローバルガバナンスを調べる前に
理論を研究しようと思ってやってったら。それだけで
終わってしまった。

グローバル化からグローバルガバナンス
レジーム論からグローバルガバナンス
国際ガバナンスとグローバルガバナンス

様々な視点から分析できたはず。

グローバルガバナンスならまかしてくれ。
ちなみにお隣は、1日で作った即興論文なので
しょぼいです。


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卒論でけた! [学業]

半分だけね。

半分だけだけど、とりあえず卒論として仕上げてみました。
残りが間に合わない場合もあるので、とりあえず一段落
したこの辺で、一旦終了させときますわ。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~s02433ss/database/GGtheory.pdf

概要:卒業論文前編
前編だけでタイトル作るとしたら
「グローバルガバナンス論の拡散とその実態
ー脱国際関係論・総合政策学としてのグローバルガバナンスー」

グローバルガバナンスとは何か?」という疑問点に対して、グローバル化とグローバルガバナンスとの関連性、グローバルガバナンス論の起源と拡散から紐解いていく。

初めに、グローバル化との違いは何かという疑問から、グローバル化の議論の体系化を行い、グローバル化からみたグローバルガバナンスは、第1に「グローバル化に伴う問題点を対処するためにグローバルガバナンスが持ち出される場合」と、第2に「グローバルな政治変容という分野の中でグローバルガバナンスが展開される場合」の2点とする。

その後にグローバルガバナンス論の原点であるローズノー、ヤング、グローバルガバナンス委員会から、それが拡散していく過程を追っていく。拡散過程においてリアリズム、リベラリズム、マルクス主義による国際関係論の議論を継承している状況がわかる。そこから、グローバルガバナンスがそれまでの国際関係論と違いがないのではないかという新たな疑問が生まれる。

それに答えるため、グローバルガバナンスの起源といえるブルとローズノーとの比較をすることで、グローバルガバナンスの特徴が「グローバル化という前提」とそれによる「権威の移転」であるということを導き出す。

そうした意味で、グローバルガバナンスとは国際関係論とグローバル化との接合的な理論であり、国際関係論の国家中心的な限界を超える試みであることと捉える。

そこからグローバルガバナンスを

「グローバル化に影響される共通の問題群や目的のために対処する制度の総体であり、その主体は国家を中心としながら、非政府組織(NGO)、市民運動、多国籍企業、および地球規模の資本市場などの非国家主体を含み、その中で、「権威の移転」「調整」に主眼が置かれるもの」と考える。そうした意味で、グローバルガバナンス論はグローバル化と国際関係論とをつなげる役割を持った総合的視点を要する分野であり、「総合政策学」の一端を担う学問と結論付ける。


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難しい本。 [学業]

世の中には難しい本がある。
昔、マックスウェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義」を
初めて読んだとき、なんじゃこりゃ!って思ったことがある。
ありゃ、なかなか深すぎて。。。である。

最近、読むとむずいと思っていたのは

M・ショーの「グローバル社会と国際政治」

一見すると簡単そうに思える本書だが、ちゃんと読んでも
ぜんぜん頭に入らない。

最近、へドリー・ブルの「国際社会論」をよんだおかげで、
ようやく、4回目くらいの読みで、ちょっと理解できた気がする。

しかし、むずい。

これ一発で読んで理解できる人がいたら、ほめてやりたい。

みなさん、まじ、よんでみ?

むずいから。きっとすぐ読むのやめると思うよ。


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幻の全日もぎ議題。 [学業]

2004年、全日において、ディレクをやったわけだが。会議議題が「経済社会分野の国連改革」というわけわからんものだったため、別議題も考えたことがあります。実際に考えただけで、表に出してないから「幻議題」。

それは【模擬軍縮会議(MCD)】

C1ではなく、軍縮会議で話し合っちゃおうというもの。この会議の利点はC1にはないダイナミズムを実感できることです。C1は軍縮会議の議事を促進する程度の役割しかないため、議題をやってるときに限界を感じます。そんな話し合いをもっと発展させるには軍縮会議を理解する必要性がある。なんせ、軍縮における唯一の交渉の場所とされているのだから。(っていうか、だったらC1は何なの?って思うけど、そんな扱いなんです)

会議枠組みはかなり特殊。

1.議題自体をみんなで決める。
この会議の特色は軍縮関連という分野は決まっているけど、議題自体を決めるのは大使のみなさんということ。よって、初めは「何を話し合うのか」についての話し合いになります。議題を決めるダイナミズムを体感できるはず。

具体的には、軍縮会議で実際の個別議題を扱うための「委員会の設置」が議論のメインになるわけですね。実際の軍縮会議ではずっと何の委員会の設置をするのかでもめているため、進んでないわけです。何の議題に利益があるのかが各国かなりちがうので、めっちゃみんなでもめて対立して、いろいろな戦略を考えられるから、きっと楽しいはず。

2.条約作りまでできる。
実際の交渉ができるならば、条約草案を提出したりと、かなり奥深い交渉が可能。C1だとある、CTBTについてはこのくらいしか言えないよね。みたいな制約がないわけですね。

次に実際の会議をどう作るかですが。

タイムスパンとしては1日目に、委員会決めを行い。制限時間を設けて、そこで、「包括的な核軍縮(途上国議題)」「宇宙軍縮(中国・ロシア)」「FMCT(先進国)」といった主要なものから、ほかに「小型武器」などの議題がでて、どの委員会を設置して、どれを先に話し合うかを決めるわけです。あまりにも議題を広げすぎると収集がつかないので、実質的にまあ上記の4つか5つだけ先にディレクで示すことになるでしょう。

で、その後は会議が2パターンに分かれることになります。

1つ目が、1日目の制限時間内で、解決しなかった場合。その後は、この何をCDで話し合うのか?どうやったらCDの話し合いを進めることができるのか?といった話し合いをその後も続けていき、最終的に委員会の設置の決定がなされるかどうかで会議が進む。それでも妥決しなかったら議長総括が作られて、内容がC1に送られることになります。議長の役割が重要となりますね。

2つ目が、1日目の制限時間内で、妥結した場合。委員会ごとに実際に分けることはできないので、決定された優先順位で、議題を話し合っていく。結局、2,3個しか話し合えないと思われるが、その委員会の時間割などは各国大使が考えたり、議長国がしきったりすることになります。そこではFMCTの条約作りやらが行われることになるでしょう。

問題点。
1.時間の問題と会議の進行との関わり、
時間内に終わるのかかなり難しい。進行が予測不可能であやしい。

2.リサーチが大変
リサーチ範囲が広くて大変。C1の複数議題文なので、軍縮一般についてもういろいろ調べる必要性がある。

実際に、会議できるのなら、すごいダイナミックで、会議のおもしろさを実感できるものにすることができるという自信はあるんだけどね。まあ、全日ではやらなかったわけで、模擬国で残ったものとして、唯一やってみたかったというやつですね。誰か代わりにどっかでやりませんか?アドバイスするから。


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グローバルガバナンスと知識人達 [学業]

グローバルガバナンスの専門家になりつつあるくらい、めっちゃやってる。今日この頃、いろいろな人が出てきてよくわからなくなってきた。いっぱい有名な人が多すぎるわ。

【ベース理論】
ローズノー
「国際社会におけるアナーキーにおいて秩序が成り立っていること、『政府なき統治』に注目、グローバルガバナンスとは『秩序ぷらす意図』と定義し、とりわけ主権の移転が起きていることを重視し、それをSphere of Authorities;SOAsとして分析」

ヤング
「レジーム論から、国際レジームによる国家の協調体制による秩序に注目。レジームを国家間レジームとトランスナショナルレジームとその混合とにわけ、その総体がグローバルガバナンスであること。レジームはガバナンスの中の一部であるとする。共通の目的にあらゆる主体が目的達成のための行動調整の相対をグローバルガバナンスと定義。」

グローバルガバナンス委員会
「国連50周年にむけて、その改革を目指した報告書を提出し、グローバルガバナンスの必要性を説く、その定義によれば、グローバル・ガバナンスとは公的および私的な個人や組織が共通の問題群を管理・運営する多くの方法の総体である。」

【社会学者】
アンソニーギデンズ
「グローバル化を近代化の帰結として捕らえ、ポストモダニズムの世界とし、グローバル化による現状の世界を『暴走する世界』として、不平等や貧困の拡大などを起こしているとして、ガバナンスの必要性をとく」

マーチン・ショー
「今までの国際関係論では社会が欠如していたとし、現状のグローバル世界の政治を分析するためには、国際政治学の枠を超えており、社会学との融合が必要と説く」

【経済学者】
ジョセフ・スティグリッツ
「現状のグローバル化をIMFやアメリカによる新自由主義による秩序構成であると、それが途上国経済を圧迫させ、貧困の拡大を促しているととき、国際機関の改革を説く」

【国際政治経済】
スーザン・ストレンジ
「国際組織、多国籍企業、国際シンジケートなどによって、国家の主権が移転してきていると『国家の退場』をとき、それを『国際政治経済上の変化』とする。ストレンジ自身はグローバル化を不明確で何も意味しないと否定し、「グローバルとガバナンスの2つの語が伝える暗黙の仮定は、世界的な権威による世界大の統治が実現しつつあるというものである。しかし真実は、いかなる政府間機構の官僚組織の意思決定パワーの限界も本質も、加盟する最強の政府によって設定されているのである。」と述べ、グローバルガバナンスを「最新の意味的論歪曲法」であるとして、その概念と実質上の存在を批判している。」

【国際政治学者:リアリスト】
ギルピン
「世界秩序の変化や、非国家主体や国際機関の役割などを認めるが、依然として中心に来るのか地政学であり、それはゆるぎないとする。現状の秩序はアメリカを代表とする大国による秩序形成がなされていると覇権安定論から類推される主張をする」

へドリー・ブル(左派的リアリスト)
「ブルは国際社会では、何らかの価値観の共有がなされ、共通目標の実現にむけた明示的・暗示的なルールや制度が設けられ、一定の秩序をもたらしているとし、それらを強化することでアナーキーな国際社会における国家同士の対立が抑制されると考える。」

クラズナー
「クラズナーは、パワーや相対的利得配分をめぐる闘争が、依然として国際政治経済の本質であるという立場から、グローバルガバナンスは、大国間で合意された規則や制度において概ね明らかにされていると説く」

【国際政治学者:リベラリスト】
ロバート・コヘイン&ジョセフ・ナイ
国家間が政治以外に、経済活動により重層的に結び付きを深めている状態を指摘し、経済的相互作用が拡大すると相手の行動への脆弱性が高まり、また相手のマクロ経済の動向への敏感な反応が増すとする相互依存論を展開、さらに、多国籍企業や国際機関など多様な非国家主体がさまざまなレベルで複雑な国家間の関係性を編み出していることから複合相互依存を説く」

ヤング
上述

【国際政治学者:マルクス主義・構造主義】
ウォーラーステイン
「グローバリゼーションとは資本主義の社会経済的関係によって支配される単一の世界システムの発展として、その世界システム論の論理に組み入れ、ガバナンスの現状を批判」

ロバート・コックス
「コックスがグローバルガバナンスを経済的ネオリベラリズムの世界の新エリートのための概念とするなど、アメリカや資本主義がグローバルガバナンスを形成しているとし、そのため、現状のグローバルガバナンスの現状を批判し、世界秩序の変革の必要性を強調する」


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卒論さらしあげ [学業]

ようやく、卒論における問題の所在の再構成が終了。初期とは大分内容を入れ替えてみました。なんかやたら長いし、難しいと思われる。検証方法などに難点がまだあるため、アドバイスなどをいただきたいです!!まあ、みんなこんなの読まないかもしれないけどねw・・・・ 学校にいったら、先生や院生に見てもらうかな。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
グローバルガバナンス論の実証としての国連の位置づけと意義
~国連改革によるグローバルガバナンス論の定義とその限界の検証~

序章:問題の所在                                         
【研究概要】 
 今やグローバルガバナンスは現在のグローバル化した国際社会をどのように統治するかについての包括的な概念として定着しつつある。1990年代になると多くの論者がグローバルガバナンスを使用するようになり、その名の研究所が各地に設置され、1995年には国連大学から雑誌グローバルガバナンスが創刊されるなど、少なくとも学術用語としての地位を確立した。しかしながら、立命館大学のグローバルガバナンス研究会が「言葉が広がるとともに、多くの潮流がこの言葉にいろいろな意味をこめて使用するようになっており、概念的には非常にわかりにくい状況が発生しているのも事実である。」と示しているように 、グローバルガバナンスという言葉の一般化に対して、その内容は曖昧であり固定化されておらず、いくつかの理論的枠組みを提示しているに過ぎないようにも思える。
曖昧であるグローバルガバナンスを理解するためには、その実証的側面が鍵を握っている。グローバルガバナンスとは実際に存在するのか?グローバルガバナンスがあるとしたら、それは誰が、何の目的で、どのように形成されるのか?そういった問いかけを、具体的な事象を利用しながら明確化する必要性がある。そうした一般的に理論と事象との関係性は少なくとも「理論の構築」「理論の検証」「事例の分析」の3つが存在する。第1に、具体的な事例を用いて、それを一般化、抽象化することで、分析枠組みとなる「理論」や「モデル」が構築される。これが「理論の構築」である。第2に既存の理論・モデルに具体的な事例を適用し、その理論・モデルの妥当性を検証する。これが「理論の検証」である。第3に既存の理論・モデルに具体的な事例を適用し、その事例自体を説明すること。これが「事例の分析」である。
その点を踏まえて、実際にグローバルガバナンス論の論集を見てみると、グローバルガバナンスは理論的側面において、大芝 亮と山田 敦は、「リアリスト的分析アプローチ」「リベラリスト的分析アプローチ」「規範的アプローチ」の3つのアプローチとして捉えている 。従来の国際政治学の延長として、リアリズム的、リベラリズム的な立場などにより理論化がなされており、理論の構築段階にける相違が見られるのだ。さらに実証的側面に移るとグローバル化の範囲が多様であることに対応して、安全保障、環境、経済、国際機関といったような各分野にグローバルガバナンスを当てはめて、個別的に分析がなされることが多く 、理論的なフィードバックを総合的に行うことが困難となっている。このように理論面でも多用なら、その実証面も多様に扱われてしまうため、グローバルガバナンスを明確化することが困難としているように思える。そのため、理論面を実証するための実証例が個別的になり、グローバルガバナンス論は単なる研究論文集化していることが多いのである 。しかしながら、多様な領域を扱うグローバルガバナンスを説明するためには、個別事例から説明せざるを得ない。そこで重要となるのは、その事例がグローバルガバナンスの「どこ」を説明し、どのような「意義」を有しているのかを明確に関連付けることである。グローバルガバナンスにおける事例の位置や意義が明確化されなければ、グローバルガバナンス論に対する理論の構築も理論の検証も明確化することができないからだ。
その点を踏まえて、本研究ではグローバルガバナンスの1分野として使われることが多い、国連と国連改革に焦点を当てて、グローバルガバナンスを説明していくことにする。リベラリズムのガバナンス論の中の1分野として、国連やWTOなどの国際組織にグローバルガバナンスを見出すという研究が多数あり 、小林誠はそれらを「グローバルガバナンスという言い方で行われている研究では最も主流」としている 。元々グローバルガバナンスの規範的アプローチは国連改革を主眼においた報告書であり、国連改革と密接なつながりを有している。内田孟男は「いかに資本と市場に牽引されているグローバリゼーションをより人間的に、より倫理的で公正なプロセスに導くかは、ガバナンス理論の核心であり、そのために必要な社会変革と機構改革も研究対象とする」としてグローバルガバナンス論が改革論となり易いことを示唆するなど 、国連とその改革はグローバルガバナンスの主要な分野を形成しているといってよいだろう。しかしながら、これまでの研究は、国連とその改革がグローバルガバナンスのどこに位置しており、どのような関連性があるのか?また国連改革からグローバルガバナンスの何が解明されるのか?といった疑問に答えているようには思えない。国連がグローバルガバナンスの主体であることを盲目的に前提にしていたり、国連改革がグローバルガバナンスを作り出すとしていたり、する事が多いのだ。
よって、本研究では「グローバルガバナンスには定義を確定するための制約が存在し、その定義を形成する事例の一つとして国連も、その定義の明確化に貢献できていない」という問題意識から、グローバルガバナンスにおける国連の位置づけや、そのグローバルガバナンス論への貢献と限界性を明確化して、グローバルガバナンス論と事例との関連性を明らかにしていきたい。そのために、国連という事例がグローバルガバナンスの「どこ」を説明し、どのような「意義」を有しているのかという点で、「グローバルガバナンスにおける国連はリベラリズムの研究範囲をだけでなく、リアリズム的側面などの理論の多面性を表しうる中心に位置し、グローバルガバナンスの代表的存在として、グローバルガバナンス論に貢献しうる意義がある」と仮定して、それを検証していく。
検証の流れとしては、まずグローバルガバナンス論と国連との位置づけを表すことからはじめる。第1に、グローバル化とグローバルガバナンス論との関係性を明確化し、その上でグローバルガバナンス論と国連との位置づけを表していく。その上で、第2に、グローバルガバナンスにおける国連の地位、構造、意味を明らかにすることにし、第3に、より動的な変化に注目するために、国連改革を実証的に検証していき、グローバルガバナンスの変化の側面を国連から検証していきたい。そして、最後にそれらの国連と国連の改革の検証が、グローバルガバナンス論に一般化する上で、どのような意義を有しているのかを、グローバルガバナンス論の論争対立に立ち戻って再検討していくことで、グローバルガバナンス論と国連という事例検証の有効性と限界を明確化させていきたい。


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いっぱいベンキョウ! [学業]

昨日は今学期で一番、勉強できたかもしれない。
なんか、ずっとやるきない病でしたが、ちゃんともできるんだね。

昨夜から今日の夜7時くらいまで研究室に一人でこもって、ずっと
卒論やってました。昨日読んだ本。

ジョン・トムリンソン『グローバリゼーション:文化帝国主義を超えて』(青土社、2000)
サスキア・サッセン『グローバリゼーションの時代:国家主権の行方』(平凡社、1999)
ローランド・ロバートソン『グローバリゼーション:地球文化の社会理論』(東京大学出版会、1997)
トニー・スパイビ『グローバリゼーションと世界社会』(三嶺書房 , 1999)
マーチン・ショー『グローバル社会と国際政治』(ミネルヴァ書房、1997)
デヴィッド・ヘルド編『グローバル化とは何か:文化・経済・政治』(法律文化社、2002)
ジョセフ・S・ナイJr., ジョン・D・ドナヒュー編著『グローバル化で世界はどう変わるか : ガバナンスへの挑戦と展望』(英治出版、 2004)
ジェームズ・H・ミッテルマン『グローバル化シンドローム:変容と抵抗』(法政大学出版局、2002)
アンソニー・ギデンズ『暴走する世界:グローバリゼーションは何をどう変えるのか』(ダイヤモンド社、 2001)
ピーター・シンガー『グローバリゼーションの倫理学』(昭和堂、2005)

飛ばし読みも多いけど、かなり吸収できたわ。なんかグローバル化論は把握できた感じ♪

卒業論文は結構いけてるものができそうな予感がしてきました。

そして、2つの論文ができる予感がします。基本はひとつなんですが、2つ作って、つなげていくイメージがあります。

1つが論理面を重視したもの。

グローバル化論からグローバル・ガバナンス論の先行研究整理がメインだけど、現在ある問題意識は、グローバル化論を前提としてグローバル・ガバナンス論が構築されているはずなのに、グローバル化論とグローバル・ガバナンス論の間に断絶が見られるのではないか?というもの。その実、どちらもどちらの存在に触れたり、内容を含んだりして入るものの、完全に相互の論理的なつながりをもってはいないというのが、先行研究を見ている限り感じられます。これを論理立てて説明して要ったら、かなりオリジナリティが出てくる。独自のグローバル・ガバナンス論さえ作ることができるような、できないようなそんな感じですね。

2つ目は、それを土台とした、国連改革とグローバルガバナンス論とのつながりを示す論文。こちらは1つ目からつなげて、さらにGGの実証検分をするような内容。1つ目を作るときに、最後にGGの中で国連の位置づけを明確化した上で、新たな問題意識として、国連改革論とGG論とは断絶的なものであったはずが、GG論の発展とともに、それらがほぼ同義で捉えられるようになってきている。という認識と、それはなぜか?というところから、GG論の実態的側面を国連改革から論じていくもの。

今のところのよそうだけど、全部あわせると100ページは超える予感がする。
読まなきゃいけない論文も多い。

グローバル化論(だいたい文献はそろったと思う。)
グローバルガバナンス論(やばい英語ばっか。)
国連改革論(これも英語ばっか)
グローバルガバナンス論における国連論(えいご~)

少なくとも、この4つの分野の先行研究が必要になってくる。さらにマルティラレラリズム論や、国際機構論や、R・コックスの、クリティカル論と問題解決論とか、いろいろと見ないと。。。


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英語による読解 [学業]

卒論の関係上、英語論文ばっかり、大量に参考文献がたまっている。

ひたすら、英語をよむ。

スピードが遅い。間に合うのだろうか?やばい、やばい、やばい!!!

何が問題か?

単なる英文だったら、多少遅いくらいですむのだろう。

難しい本でも、日本語だったら、多少遅いくらいですむのだろう。

英文で、難しい本だったら、かなり遅くなってしまうのだろう。

さっき、読んでたのは「Approachs to Global Gavernance Theory」だが、

タイトルからしてあれである。。。。

で、この本の序章に、「ontology」をGGの前提とすると書いてある。

なんだ、「ontology」って知らない単語だなあって思うでしょ?

で、調べるわけ、

ontology=存在論

「存在論」って何よ?ってなるのでしょ?

で、調べるわけ、

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より以下引用
、(つまんないから、詳しくは見ないほうがよいかも。。。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
存在論(そんざいろん、Ontology)は、哲学のひとつの部門で、そもそも最も根源的に存在するものはなにか、さまざまな様態で現実に存在するもの、根本的な実体を伴って存在するものとはといった問題に取り組むものである。存在論を、Ontologyというが、この表現はギリシア語で「存在するもの」をいう「オン」(on)という言葉から由来している。

特にアングロサクソン系の哲学の流れの中では、存在論は、認識論と並んで哲学の主要な関心としてひとつの流れをかたちづくってきた。その間に、ものそれ自体(合わせてその属性)とそれが我々の対して現れている様態を区別するというやり方が通例となってきた。その点においては、存在論は、さまざまなか瑣末な表れを派生的なものとして退ける我々の認識の能力を問いただしているという言い方も出来る。存在論は、古典的な哲学の体系の中では、形而上学の一部に数えられている。

存在論を主題的に扱う哲学には、古代ギリシアの自然哲学者、プラトン、アリストテレスなど、中世のスコラ学者たち、ライプニッツなどの合理主義哲学、ドイツ観念論、マルティン・ハイデガーの存在論などがある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ほら、わかんないっしょ!?? どうなのよ???

英語でわかるわけがないのだ!!

で、この本の最終章にローズノーさんが、GGにおける存在論を語るわけだが、その前提として、存在論とパラダイムとの差を説明している。これもまた、英語である。

ローズノーさんいわく、

ontology are foundational in that they highlight what basic elements are regards as comprising the existing order, whereas paradigms are seen as referring to the ways in which the elements are interactively organized and order is thus imposed upon them.

日本語でさえ、理解が難しいのに、英語で理解しようとしているのだから、時間がかかる。しかし、今年もあと20日。。。参考文献の英語本・論文は少なく見ても20~30くらい。。。どうなるんでしょうか。。。。


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卒業論文 [学業]

卒業論文のプロポーザルを提出。前回の内容をもう一度精査して、作り直した。正直前回は、発表直前の3限に作り出し、1時間半で完成させたという急場しのぎだったので最悪だった。今回はある程度時間をかけたけど、まだいろいろ足りない。圧倒的な文献の読み込み不足でしょう。今週は木曜日に文献収集に三田に行くことを決定しよう。そうしよう。英語論文が中心のよかん。

  グローバルガバナンスの規範的アプローチと国連
~グローバルガバナンス論の規範的秩序と機能状態との区分~

慶應義塾大学総合政策学部4年
柴田真吾
                                       
【研究概要】 
今やグローバルガバナンスは現在のグローバル化した国際社会をどのように統治するかについての包括的な概念として一般的に定着している。しかし、その内容は曖昧であり固定化されておらず、いくつかの理論的枠組みを提示しているに過ぎないようにも思える。その理由は多様な分野・アクターを多様な側面から捉えるというグローバルガバナンス論の特性によって、様々な扱い方が出来ると同時に、いくつかの課題を有していることに起因していると思われる。大芝・山田は多様に扱われるグローバルガバナンス論を3つのアプローチに分けて捉えた 。一つが「リアリスト的分析アプローチ」であり、J・ローズノーとE・O・チェンピールの論集から始まり、H・ブルやM・ザッチャーなどがこれに続いた。彼らは主に国際社会におけるアナーキーを秩序付ける制度としてのグローバルガバナンスに注目する。2つ目に「リベラリスト的分析アプローチ」であり、これは国際レジーム論を発展させる概念としてGGを提唱するアプローチでO・ヤングに代表されるアプローチである。そして、最後に「規範的アプローチ」であり、1995年に国連改革50周年を契機に有識者の集まりによって発表された「グローバルガバナンス委員会」の報告書に代表される。このアプローチは国連などの改革を実際に提唱することで、どのようにしたら最良のGGが達成できるのかという「実践性」や「市民性」「規範性」に目を向けていることが特徴であるとしている。このように一言でグローバルガバナンスといっても、そのスタンスによって捉え方が異なるのである。
 ではグローバルガバナンス論の課題はどういった点であろうか。大芝らはグローバルガバナンスの課題として、第1に重層的システムを構成する諸枠組みの目的や機能を分類し、これらの相互関係を明らかにすること、第2にグローバルガバナンス・システムが参加者の利益を適切に擁護しているかを検討すること、第3にグローバルガバナンス・システムと主権国家システムの関係の再検討をあげている 。「リアリスト的分析アプローチ」とされるローズノーはグローバルガバナンスを論じる上で重要な第1段階として、「規範的秩序」から「経験的秩序」を区別することであると述べている 。グローバルガバナンスにおいて、その規範性に対する、実際の機能状態が問題であるからだ。また、フランスの経済分析評議会のジャケ(P. Jaquet)らは、グローバルガバナンスの問題点として、「その複雑性を前にして政治的意思が放棄されている」ことに求め、民主的に選出されていない機関の正当性が何を基盤としているのか、どのような領域で活躍し得るのかを明確にすべきと主張している 。
このように、グローバルガバナンス論には様々な概念による捉え方や課題が存在し、その明確化が困難なものとなっているといえる。本論文ではグローバルガバナンスを有効な概念として機能させるには、その課題に対して、ローズノーがいう「規範的秩序」から「経験的秩序」を区別が必要であると考え、「規範的アプローチ」による規範性の推進と、国連の現状と改革過程に実態状態を求めることで、グローバルガバナンス論の明確化を行っていきたい。本稿が国連と規範的アプローチに着目する理由は、2005年の国連創設60周年を迎えて、2004年から2005年にかけて国連改革に関する報告書が次々に提出され、改革議論が活性化している状況にあり、グローバルガバナンスの現状を検証するのに適切であると考えたからである 。そこで本稿ではまず始めに、先行研究からグローバルガバナンス論と国連自体との結合点を抽出し、国連のグローバルガバナンスを扱う上での適切性を現した上で、その機能状態と規範的アプローチが求める規範性との区分を行っていきたい。

【研究手法】 
1. グローバルガバナンス論と国連システム研究の先行研究を精査し、グローバルガバナンス論における国連の適切性を求める。

A) グローバルガバナンス論の先行研究を精査し、その特徴と課題などを抽出する。
B) リチャード・フォークやマシアス・コーニング・アーキブギなどの既存の国連システム研究の先行研究を利用し、国連システムの包括的な認識を求め、Aで抽出したグローバル・ガバナンス論との結合点を比較し、国連とグローバルガバナンスとの係わり合いを求め、国連を機能状態として扱うことの適切さを証明する。
  

2. グローバルガバナンスの規範性として規範的アプローチに着目し、規範的アプローチの定義、現状を明確化する(先学期の研究)

報告書は市民社会と国連との関係に重要な提案を行った「カルドーソ報告」、新たなる脅威に対する国連の役割強化を提案する「ハイレベル委員会報告」。ミレニアム開発目標の達成に向けた提案を行う「ミレニアム・プロジェクト報告」、そして最後に「ハイレベル委員会報告」、「ミレニアム・プロジェクト報告」の2つを土台として作られた「アナン事務総長報告」である 。本論文ではこれらの一連の報告書はグローバルガバナンスの新たな規範的アプローチを示すものであると仮設し、その規範性を抽出する。

規範的アプローチは機構改革の提案と一致する傾向が強いながらも、現在の国連改革に対する報告書形式の提言はGG論が出現する以前から継続されたものであり、GG論と必ずしも一致して展開されてきたわけではない。そのため、第1に規範的アプローチの特徴を定式化するために、グローバルガバナンス委員会報告書をそれ以前の報告書と比較し、規範的アプローチの特徴を抽出し、今日の一連の報告書が単なる機構改革提案なのか、GG論の規範的アプローチであるのかを求める。

3. 「2」で求めた規範的アプローチの求める国連の規範性と、国連の機能状態とを比較することで、グローバルガバナンスの実情を明確化する。

機能状態をローズノーが定義する3つの活動レベルに分けて分析を行う。それは第1に観念的・相互主義的なレベル、第2に行動・客観レベル、第3に集合的・政治的レベルである。

第1に観念的・相互主義的なレベル:グローバルガバナンスに対する各アクターの認識的な共通性を調べる。国連におけるグローバリゼーションの議論や、民主化や人権といった議題に対する共通認識の発展に注目する。

第2に行動・客観レベル:観念レベルでなされた理解を、行動で表明するレベル。アクターによる威嚇、交渉、武装、承認などの行動を国連会議や、実行段階などを見ることで分析する。具体的には国連改革の議論における国家の交渉過程を見ていく。

第3に集合的・政治的レベル:これは固有の政策を制定し執行するためのルール志向の制度・体制のことであり、国際機構自体が対象となる。ここでは各国連機関の機能状態や、事務局の働きに着目する。具体的には国連機関とNGOとの関わりの変遷や、事務局によるイニシアチブを見る。

【期待される成果】
これらの研究によって、第1にグローバルガバナンスの規範と機能状態との区分をはっきりと分けることで、グローバルガバナンスの明確化を行うことができるということ。第2に国連のグローバルガバナンスのエージェントとして位置づけを明確化し、グローバルガバナンス論における国連を現わすことができるということ。以上の2点によってグローバルガバナンス研究に寄与することができると考える。


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