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人間社会の【他人の立場】による区分 [思考]

私たちの社会のたいていのことは、【他人の立場】という言葉によって区分されるのではないかとか考えてみました。それは 

1.「他人の立場」に立つことができるのか、できないのかという度合い

に人間関係の全てが起因するのではないかという、単純な視点です。例えば、恋愛とか友人関係とかの身近な人間関係だって、相手の立場に立って考えられるのかって重要だよね。自分のことばかり考えて失敗したり、相手の気持ちがわからないで不安になったり、相手を思いやらないで喧嘩になったり、逆に相手のことがわかるから優しくなったり。

これを思想や社会学、政治学なんかで考えると、極端に相手の立場ばっかり考えると左翼的になっていったり、極端に自分の立場ばっかり考えると右翼的になったり、人ってこういった「他人度合い」によって行動や考えが規定されるような気がします。

国際的な問題も同じのような気がする。日本で言えば、靖国神社問題や歴史認識問題といったのがあるけど、この問題も「韓国・中国の人に悪いから」とか「中国は嫌い」とか「個人的心情です」とか感情論でみるか、法律に見るか、経済で見るか、政治としてみるかとかいろいろな見方でみられるけど、これらを「相手の立場に立って考えているのか、そうでないか」の度合いによって分けてみると違う視点が得られる気がする。

曰く「靖国神社は日本のために戦ってなくなった戦没者が祭られており、日本人としてそれに参拝することは大切なことだ。そこには戦争への反省もこめられているんだ。なぜ中国に文句を言われなければならないのか。内政問題だ。」
曰く「A級戦犯っていうのは連合国側によって押し付けられた裁判であり、事実をしっかり認識すれば、彼らを祭っていることは問題がない」

こういう人たちは、「他人度合い」から分析すると、日本の立場にたって考える度合いが主で、中国の立場の度合いが少ない。つまり、「他人度合いが低い」と考えてみる。

曰く「日本が戦争をして多大な被害を受けた中国や韓国の人にとって靖国参拝は許されるものではないだろう。中国や韓国に悪いから靖国神社にはいくべきじゃない」
曰く「内政問題ではなく、中国や韓国との国民感情と、それに呼応する政府とのやり取りに発展してしまっているのであるから、外交問題として真剣に捉えるべきだ」

とかは「他人度合いが高め」とかって分類してみます。

とまあ雑ですが、こう考えると、人間社会は基本的に個人<家族<地方<国家<地域<地球って感じで他人がたくさん増えていくから、その他人度合いの困難さから摩擦を生じさせて、戦争やらテロやらやっていくんだろうね。

だから、日中韓の問題とか典型的、一般人が「感情論で靖国は埋没者のため」とか言ってもしゃあないけど、専門家が法律とか事実認識からあれこれ理屈のべて「だから靖国神社は良い」とか言っても俺にとってはレベルは同じに感じます。ようは「他人度合い」が低いからコンフリクトを生んでるって理解することを始めないと解決できないんだと思います。左翼になれとはいはないから、「自分の立場」を貫きつつも「他人度合いを高める努力」これが何事にも必須なのでしょう。

とりあえずいいたいことは、俺は「他人度合いが低い考え」がめっちゃ嫌いです。たとえ言ってることは正しくても、正直「頭悪いなこいつ」とか思う。「他人の視点から考える」って簡単に思えて、人類史上最も難しく最も重要であると思います。それを放棄するっていうことは基本的に多角的視点もかけてて、話してもつまらんし、物事を捉える努力ができないと思ってしまうのですよ。

ああ、朝から意味わからん。


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コメント 1

しんちゃん

意味は、分かるよ(^^;
by しんちゃん (2005-11-06 00:08) 

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