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模擬国連とのあゆみ [日誌]

模擬国連に関わってからかなりたちましたね。やばいw

2000年4月、成蹊大学時代。大学の本屋においてあったサークル紹介雑誌にたまたま載っていたのが模擬国連でした。いろいろな大学が集まったり、国際関係とかかっこいいなあとか思って興味を持ったのが最初です。別に国連なんてしりもしないし。。w

模擬国連国立研究会のHPからメールで連絡してみて、1日シミュレーションに出ることにしたのが初出席。そこから国立研究会に所属することになりました。

2000年8月終わり。初の遠征会議で九州サマーセッションに参加。恋保理ネタを爆発させて帰国(爆)。もやもやした一月をすごし、爆発的破局。。ち~ん。

2000年10月、最初で最後の全米選考会に参加。私的トラブルよりあぷらいからノンアプへと変更、さらに選考会でえらい問題を起こし、今とは違った意味で名前が全国区に拡大。すさまじい問題児として大成する。

2000年度国立後期、全米を引きずり、あまり参加せず。意識の中で模擬国連を辞めることを決意するようになるが、ずるずると決断できず。つらい日々をすごす。模擬国連暗黒時代突入。

2000年12月。最初で最後の北陸大会参加。田口君(2002年度支部長)とかあれから一度も会えなかったけど、北陸支部のよい人たちとめぐりあった。もう一回あってみたいな。錦さん(九州支部長)から衝撃の事実を聞かされもしたw

2001年4月。模擬国連国立研究会を退会。なあなあにしていた模擬国連でしたが、精神的なものから大学に行っておらず、留年し。大学を辞めることを決意したことをメンバーにつげる。なかなか告げることができなかった。。。成蹊大学退学。

2001年度 空白の1年間

2002年度3月、慶応義塾大学総合政策学部に入学が決まる。国立研究会の強化合宿に顔を出しに行く。1年ぶりの模擬国連となる。

これより正式に国立研究会に復帰することを決めて、新しい模擬国連との日々がスタートすることになる。

2002年4月国立研究会に新たに入って再度活動することになった。前回とは違ってまじめに活動自体に精進しようと思いましたねw。しかし、古い国立研究会同期と新たな国立研究同期との間にはさまれつつ、アイデンティティ形成をどうしてよいか悩んだ時代でもあります。今のでむの状況と同じだなw

2002年8月。初めての全国規模大会として関西大会に参加する。このとき、なんと初めてWPを作ったり会議で動きを作ることができる。大会後でむとさんしと3人で京都めぐりをする。でむが敬語とため後をくしして、俺との関係が難しそうにしていたっけ(爆)。俺も最初の1年間は同期の1年生とあまりなじめず苦労しました。敬語使われるしw

2002年12月 初めての全日本大会に参加。西山君とグループをひっぱるという役割を初めてやってみてDRを作る。会議参加の転機となったと思う。新人賞的なものをもらった。でも新人なのかはあやしかったw。 同時にSFCのメンバーを全日にきてもらい、SFCでも模擬国連を作ろうという方向性が出てくる。

2003年1月。SFCで模擬国連を結成するべく、全日メンバーを中心に始動開始。湘南模擬国連だかSFC模擬国連だか名前があやふやでした。SFC内で興味ある人をあつめだし、10人強があつまり、自分を中心にメール連絡網を形成する。SFCに団体登録をする。

2003年1月~3月。SFCでの会議のために様々な準備をする。同時に国立研究会の情報処理としての活動をこなす。

2003年3月、4研合同シミュにSFCの何人かを連れて参加。頼りにしていた友達がメンバーを辞めるという自体もあって大変だった。


↑4研合同シミュ後

なんだかんだいって、国立の執行部とSFC模擬国連立ち上げという2つをこなすことになり、このあとはかなり苦労しました。でも、2003年は大学生活の中で責任感をもって、必死に何かをやるということが自分の土台にもなった1年となったと思います。


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