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やりたいこと。 [思考]

結局、やりたいことって何だろうな。模擬国連に入ったのがきっかけで、国際関係、とりわけ国際政治をやるようになった。でも正直言ってこういった分野は実際社会に役立つものじゃない。開発問題を勉強をしたいといっても、勉強したからって別に途上国の開発がどうなるもんじゃないのと同じだよね。外交問題とか趣味みたいなものだ。だから模擬国連とかサークルで勉強するくらいで良いのではないのだろうか。と最近すごい思うようになった。だから大学院に行くのもむなしくなってくるんだよね。

実際の勉強も金融とかもうちっと役立つことをしてた方が良い気がするし、どうなんだろうか。模擬国連から自分の勉強分野を決めてしまったけれども、学生生活でやり残したこととか考えるとたくさんあるよね。う~む。。。。


心の壁 [思考]

自分には自分の嫌いなところが誰しもにはあるだろう。俺にとってのそれは「壁を作る」ことだ。人との関わりの中で、自分で壁を作ってしまう。人間関係には合う合わないとか色々とあるだろうけど、俺は自分で壁を作って人間関係を狭くしてしまいがちだ。

壁の具合は心の持ちようによって、異なっている。合う人たちといるときや、テンションが高いときは俺はかなり明るいキャラになりうるので壁は低い、一見すると接しやすいと思われると思う。でも、なんらかの接点がなかったり、学校の中で言えば、ただ挨拶だけの関係性だったりすると、めんどくさくなるのか何なのか、しゃべらなくなってしまうことが良くある。本当はそんなつもりはないんだけど、一度あいさつしなかったりすると、後からつなげなくなる。「単なる知り合いとあいさつする」これが俺にとっては難しい問題となりうるのだ。知り合いに線引きしがちなのである。

なので、俺には昔ちょっとしゃべったけど、今は素通りしてしまう人が多々いる。別に仲良いわけじゃないので問題はないのだが、これがさらに壁をつくりあげる。授業とかでちょっと話す機会があった人がいたとしても、「どうせあいさつするだけの関係から、めんどくさくなるんだろうな」と思って、特に知り合いにすらなろうとしないのである。そこでは人間関係に壁を作っている。きっとその壁が良い人とのつながりを阻害しているのだろう。

もっとオープンに、仲良くいろんな人と接していったほうが良いんだろうね。ずっと思っているけどなかなか直すことができない。でも、がんばって人とつながっていないと気づくと一人になりそうだと感じることがある。人とのつながりをうまく保てない。大学行き始めてから地元の仲良い友達とすら連絡していない。大学卒業したら、いろんな人と連絡がとぎれるんだろうなって予測がつく。好きになった人とはずっと一緒にいたいと思ってたはずなのに、もう会えない断絶状態を作ってしまう。

そして気づく、俺は何をやっているんだろう?何を繰り返しているんだろう?これで良いのだろうか?

自分の壁をベルリンのように打ち砕ければ、何かがかわるのだろうか。


国際政治学とは何か? [思考]

国際政治学ってなんでしょう?って真剣に考えたことありませんでした。
『国際関係研究へのアプローチ』って本を読んだらそんなことを考えるようになった。
この本は、「歴史学と政治学との対話」というサブタイトルがあって、歴史学との
相違と共通性、さらに伴に協力する重要性などを論じる内容で、国際政治学と
その分析手法を教えてくれる。つまり歴史学っていう比較対照の存在によって
国際政治学が何なのかがわかるんだよね。確かに同じ歴史的問題を捉えるという
観点から言ったら、歴史学と国際政治学ってどう違うんだろうって言われるとなかなか
応えられないよね。なかなか奥が深い。

1.理論の使い方
理論の使い方は両者の間では異なっている。「歴史学者は過去をそれ自体有益な主題として研究する一方、社会科学者は過去とは人間行動に関する理論を作ったり検証したりするためのデータに過ぎない。(ルボウ)」国際政治学者が理論を用いる基準は、将来の研究プログラムを開拓するものであるか、既存の理論の問題点を改善しているか、痛切に挑戦するような新しい理論を生み出しているかというものである。

2.一般化と普遍化
【政治学者】時間や空間を超えた様々な事例に当てはまる一般化を重視する。政治学者は実証主義の伝統の下で専門教育を受けており、「一つの出来事よりも同種の出来事を一つのカテゴリーとして説明することを好む」
【歴史学者】歴史学者は一般化を避けて特定の事例を深く掘り下げたり説明したり理解したりすることを好む。全体論的アプローチを用い、典型的な大国間の戦争など存在しないとする。一連の出来事の筋を辿ることにより「複雑な出来事を再構成」する(ギャディス)。

3.事例
 【政治学者】別個のものだが同時に群れをなして存在している。それらが同様の構成要素を含んでいる限りにおいて同列に扱われる。
 【歴史学者】複雑な歴史の出来事やプロセスは比較可能でなく、「時間の鎖」からは外せない。個々の出来事は何かの事例なのではなく、それ自体重要。
逸脱事例
【政治学者】自らの前提に誤りがある可能性を否定してはならないことを心得ているが、逸脱事例に直面した場合にも理論を簡単に捨て去ろうとはしない。時には事実を歪曲したり脚色したりし、自らの理論を守るための終わりなき防衛行為が繰り返されることもあ
 【歴史学者】こちらの方が解釈の流動性を認めることに前向き。「歴史に決定版などな」く、新しく発見された証拠に照らして出来事を「書き直す」ことは仕事の重要な一部分である(ギャディス)。

4.原因と因果関係
【政治学者】因果論とは独立変数と従属変数の間に具体的且つ検証可能な関係を打ち立てること。よって必要条件を挙げるだけでは満足せず、一歩踏み込んでどの原因がより重要化という変数のランク付けを試みる。またそこで厳しいテストを課すような事例を選択する。難しいテストにパスすればその理論の信頼度が高まるからである。
 【歴史学者】過程追跡(諸事象と別の諸事象とお特定の筋道において結びつけること)によって因果関係を確立しようと試みる。複雑な出来事を一つの原因で説明しようとすることを退ける。歴史学者にとって原因とは、既に始まってしまったプロセスにしばしば途中から入り込むことであり、また原因は互いに絡み合いながらその効果を増幅させたりする。

などなど。。。ふむふむ。


なんで寝るか。 [思考]

何で寝るのか。眠いから寝る。それはわかっちょる。そうちゃない。
最近の俺は他の理由で寝ている。そう、めんどくさいから寝るのである。
現実に色々しないといけないこと、悩むことがある。
寝ると逃げれるから寝るのだという面があると思った。

昨日もいっぱい寝た。
いろいろとやらなければならないことがたくさんあるのに、めんどくさいから
とりあえず寝ました。

昼間も寝た。なんか気分的に落ち込んできたので、とりあえず寝ました。
最近睡眠時間が激増している気がする。明らかに無駄な睡眠時間が
増えている。しかし、なぜか眠いのも事実。俺はおきるのがめんどくさ
くなっている。ただ寝ていても何も解決されないと知っているのに、
とりあえず寝てみようと思う。そして、今日も俺は寝る。おやすみ。


メディアと国連 [思考]

朝。テレビをつけてみる。日本が常任理事国になるのかならないのか、えらそうな人たちがいっぱいしゃべっている。いつもの風景?
とりあえず思うことは、議論に偏りがないかね?ってこと。何やらこの人たちは国連改革、安保理改革についてあまり知識があるように思えない。日本の常任理事国入りっていう「いわゆる関心事項」しか良く知らないし、考えてないだろうなあ。

メディアである典型パターン
1.国連改革を安保理改革だと思ってしゃべっている。→安保理改革はメインだが国連改革の一部でしかない。

2.あたかも日本の常任理事国入りが争点のようにしゃべっている。→別に日本の常任理事国入りが対立点になっているわけではない。気にしているのは韓国、中国など一部。改革が進展しないのは日本が原因じゃないのに。。。

3.靖国やらなにやらが関係しているかのようなしゃべり→実際はあんまり関係ないっしょ。

メディアでは日本の争点しか報道していないし、議論している人ですら国連改革、つまり「国連全体を良くしていこう。そのために安保理改革をやろう」。っていう感じの議論や考えをしていない気がする。これでは単に日本が常任理事国入りしたいだけに見えるよね。結局、自分の国しかみていないのがメディアだけみても浮き彫りになってる。これじゃあ周りから信頼されないね。


what is so called ”エグイ”? [思考]

えぐいって何ですか?

エグイ=忙しくて大変な状況をフランクに表した言葉(恐らく)、「きもい」などと同系統。SFCでグルワや課題が溜まっているときによく使われる。
使用例:最近えぐってるね~。この授業えぐいよ。などなど。。。

結局エグイとは忙しいとか大変だとか、そんな感じだと思うのだが、人に使い方、というか使う状況が違う気がする。例えば、「研究会がエグイ」とかいうのはよく使われると思う。小島研とか良くエグイ研究会の例に総合系だと上げられたりするよね。確かに、グルワをやってるときはエグイと言えると思うけど、それって一番忙しくても発表前2週間くらいの間なだけで、あとは講義を聴くか、他の発表を聞くくらいで、個人研究を始めるまで特に忙しくない。集中的に意志が時間があるってだけで、全体を見ればそうでもないような気がする。

なんで個人的には小島研と他の授業を取っている状況をえぐいとは感じない。香川研だって別段忙しくないし、全くエグいとはいえないと思う。でも、香川研に入ったばかりの人って、グルワとかやってるとエグイとか思ってるんだろうなって感じたりもする。特に初めて研究会やってる人にとってはそうなんだろうなあ。

俺の中で今学期は全くエグくないけど、エグイといえる期間があったとしたら、一番は先学期だろう。小島研と香川研の両方に所属して、何をちまよったかインテン中国Ⅰまで取りはじめてしまいさあ大変。さらに年末に模擬国連全日本大会の会議監督として会議準備をしなければならないという状況。優先順位的には大会準備が、俺が動かなければ多くの人に迷惑がかかるので一番で、ずっとやりつつ、小島研はグループワークはメンバーに頼ろうとしたけど、失敗して結局最後の週は大変なことになり。小島研の発表が終わった日の夕方に香川研のグルワに参加するという状況。かつインテンⅠは毎朝一限なので、朝7時に家を出て課題やテストもしっかりとこなしてAを取った。個人研究は小島研のを完成した3日後に香川研の個人研究を終わらせるという状況だった。まあ、これだけ見てるとエグイ気がするが、無理な内容ではなかったと思う。全部Aだったし。

小島研とかやってると研究に中心がいってしまい、授業落とす人いるけど、ただ単にマネージが下手なだけだと思う。そういう人ほど「研究会がえぐい」から授業を落としたと言ったりするんだよね。先学期の俺の時間も別にテレビくらいみてたし、日曜日は暇だったし、睡眠時間も普通だったから、まだまだ余裕だったんだろうなって思う。

ここから浮かんでくるのは、「エグイ」って言い訳をするときの言葉なのかなって思う。自分は忙しいから他の事はしなくてもいいかもって自分や他人に言い訳するときに使われるのかな。だからエグイの基準は人によって違うし、同じ人でも大変さの比重や内容によって使われたり使われなかったりするんだろうね。本当はまだまだやれるんじゃないかな?

本当に自分の限界を超えて、「エグイ」ことができる人っていうのが大成できる人なんだろうね。でもそういう人は「エグイ」って言葉を使って、自分に限界点を引かないと思う。自分の可能性をもっと広く取るんだろうね。

俺は今、全然エグイ状況ではないし、全然がんばってないなあって思います。もっと自分の限界を超えてがんばれるようにしないと、このまま中途半端に終わってしまいそうだ。一回、本当に一回でいいから、自分の限界を超えて継続的に物事を取り組み、成果を出すことが出来たとき。真のエグイ生活ができて、自分を高められるようになるんだろう。そういう取り組みが今までずっとできていないので、今学期はこの怠惰な生活を脱して、そういったことを一度成し遂げられるようにしないと思う。どうにかして(笑)


テンションが低い [思考]

朝起きる。とりあえずテンションが低い。
(私のテンション低い時ブログは皆様をダークな世界にいざなう危険性がございますので、ご了承したお客様のみ、先におすすみください。)

俺はテンションの高低が激しい。テンションが高いとやたらうるさいし、おもしろ
おかしい感じにさえなる。テンションが低いとやたら低い。一人でやたらダークな
オーラをだしていると思う。しかし、誰かに会うとそういうときでも笑顔を作り出す。
偽笑顔。ほんとはどうでもいいとおもっている。

テンションが低いときはいつも同じようなことを考える。「俺ってなんか意味あるのかな」
的なダークな考えである。考えてはいけないことだと思う。それ自体が意味がない。

こういう時はだいたい昔を思い出す。過去を振り返っても何も変えられないのにだ。
今朝は人と縁を切るようになったきっかけを思い出していた。5年も前だけど。
例の遠距離恋愛をしていたとき。東京にきた彼女は態度を変えてしまい、急激に
だめになっていったけど、俺はそれを元に戻そうと懸命だった。誰が見ても、だめだし
その子の性格自体も悪かったのにだ。何度もだまされた。やればやるほど傷ついていった。
俺はいつのまにか学校に行っていなかった。もうどうでも良いと思っていた。自分自身に
かつてない脱力感が蔓延し、昼は毎日ゲーセンにぶらぶら行くだけの日々。
学校は辞めるつもりだった。将来が真っ暗で分からなかった。ひどい状況だったと思う。
学校を辞めて、もう一度頑張ろうと受験をして、SFCにきたのはその後のことだ。

それからは、逆に揉め事があると縁を切る。自分を保護しようとするようになった。
俺はいろいろなものにふたを閉めるようになった。しかし、そのふたはちゃんとしま
ることはないけど、中身だけは増えていった。この中身はどうやら消えることはないらしい。
もっとさっぱりと割り切れる性格だったら良かったなあと思う。

このふたは閉じたままが良いのだろうか?そんなものに惑わされないで開放した方が
良いのかな? 今一番上のふた。開放したら楽になれるかな。


ココロとカラダ [思考]

1月に就活と英語の勉強を開始して、9月の東大の試験をめざしだした。
3月中は絶頂だった。ワークスのインターンをやりながら、バイトも14日行き、
全部で26万稼ぎ。さらに普通に就活も内定を出すに至った。毎朝6時におきて、
英語を2~3時間勉強してからインターンへ。TOEICが800近くまで上昇した。
移動の電車内では国際政治・国際法の本を常に読み。時間のあまりを作らせなかった。
身体伴に充実していた。楽しかったし、不安もなかった。

計画性・やる気・時間配分など全てが順調で、3月に就活を終わらせ、
そのままの勢いで4月から本格的に勉強をする予定だった。インターン用の
時間を普通に勉強に使い、バイトも減らせば、余裕で9月までに間に合う
予定だったし、この勢いでは十分いけただろう。7月までにTOEFLで250を
取る予定だったし、そのときは出来ると思っていた。内定がありつつ、院も
なんとかなるような勢いがあった。今学期は学生生活で一番がんばったと
言えるような学期になる予定だった。

そして、歯車が狂いはじめた。

原因は研究会内部での悩みが出来たことに発して、自分の学生生活
悲観的に振り返ることが多くなって、精神的に衰弱してしまったことにある。

俺は遊ぶのが下手だったし、多くの人のように海外を見て回ったり、
ちゃんとした恋愛をしたり、学生が出来るようなことをあまりしていない。
特に人との関係がだめな人間だと思うことが多くなった。俺は仲良い人には
結構、明るい人間に思われるが、そうでもないところでは物静かに思われたり
キャラが別人のように変化する。その分、人間関係に悩みが多い。
あまり人とコンタクトを取らないから、縁が薄くなりやすいし、だからこそ、
自分は誰に必要とされているんだろうと考えることが多くなる。
友達だけども、別にその人にとって重要ではないよね。って考えてしまう。
「別に俺がいなくても誰も困りはしない。事実、今回もそうだったじゃないか」
って考えていたら、いつのまにかどつぼにはまっていた。

研究会においてこういう状況を生み出す危険性は去年から認識していた。
そのとおりになった。だから、嫌だったんだ。だから、避けたかった。

そして、いろいろ考えていたら、最後の学生生活で一生懸命、勉強するのが
嫌になってきた。5月は怠惰すぎる5月になっていた。活動時間は3月の
10分の1くらいじゃなかろうか。取り返しの付かない5月を送ってしまった気がする。

今日は研究会の発表だった。しかし、体調が悪すぎて休むことにした。
昨日も1日かけて、研究準備していたけど、何もうかばない。この頭は現在
ほとんど機能していない。集中力というものが完全に抜け落ちている。
こんな内容を発表してもしょうがない。体調も悪い。

ココロがカラダを犯し始めている。


ラッキィいおり [思考]

SFC名物のいおりちゃん。

最近、彼が懐かしきラッキィ池田に似ているという説が

実しやかに流れています。

これです→http://dir.yahoo.co.jp/talent/39/m93-3606.html

とりあえずいおりを知ってる人で見たらコメントするように。

特にいおり。

ちなみにラッキィは「ラッキ-」ではなく「ラッキィ」だそうな。


ぐるわるぐ [思考]

ぐるわ。グループワークの略語。SFCにくると当たり前のように使われ、行われる。
複数人でグループを組み課題に取り組むことで、お互いに協力し合い、より良い結果
を導き出す。

はっきり言って、俺はぐるわはあまり好きではない。ぐるわをやるくらいなら一人で
やった方が早いし、良い結果が出てくると思ってしまう。一昨日と昨日英語のぐるわがあったん
だけど、正直、やっていてまったく意義を感じなかった。。。
課題の分担しても作ってくる内容もしょぼいし、話す内容もしょぼい。
「俺がパワポつくるよ」って言ってたのに、発表当日に、「忙しくて作れなかったわ」って
あんた。。。

このように、ぐるわが機能するかは著しくメンバーの制約を受ける。相手がしてくる
仕事内容の期待値があって、ある程度の能力が均衡していたり、考え方が
おもしろかったりする人。複数人でやるメリットを提供することが可能な状況
が作り出せないといけないと思う。

たいていの場合、適当な授業で適当に組んだメンバーはやばい。
そういうときって一人でやった方が良いとおもっちゃうんだよね。

しかし、人と協調しながら、そういう人たちをマネージして、良いものを出せるような
人が本当にすごいのかもしれない。正直、めんどくさくて俺にはできないけどね。


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