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新撰組から [思考]

やってたので、見ました。なんだかんだ行って、ミーハーだけど日本の歴史で1,2位になるおもしろさは明治維新期のこの時期だと改めて思った。うだうだやってた江戸時代に比べると、登場する人物が際立ってるからいろいろな話ができる。

時代の変わり目だから、そういった人たちが目立つっていう面もあるんだろうね。歴史学において歴史には連続したものか、一時の断絶を有するものかっていう断続説と連続説っていう対立があるけど、断続的側面っていうのが時代の移り目なんだろうねえ。

新撰組の最後の方って、日本が国民国家として成り立つ第一歩だよね。今の日本へと向かっていく礎みたいなのを感じる。

まあ、今日の番組は新撰組なんで、土方歳三がかっこいいわけ。この人はハンサムだし、行動とかも男気があって、サムライって感じで、男の憧れだよね。最後に襲われている新撰組を助けに戻ったところに銃弾浴びて死ぬなんてねえ。

でも、ここは五稜郭で対峙しあってた、幕府方の榎本武揚と薩長方の黒田清隆の関係に注目してみましょう。

榎本は結局、官軍に降伏して切腹まで考えるわけだが、黒田が助命を懇願して、投獄されたのち、政界ばってきされ、外務大臣までやることに。初期の日本外交の中心となった人物。外交の基点ともいうべき人物。模擬国連的には気になります。黒田の方は、知ってのとおり首相にまでなっちゃうっていう構図で、お互い初期日本を支える人物ってわけだ。

わが慶応大学も当然、慶応期に誕生し、諭吉先生の脱亜入欧の元に、明治時代が築かれ、やがて帝国主義時代に後れまいと日清戦争、日露戦争へ、そして大東亜戦争へと走っていくわけだね。

明治維新から戦後日本史に至るまでの過程。これが歴史の勉強の中でも最も重要な部分であると私は思ってます。

そこには、

日本国家が生まれた経緯
日本人という意識が生まれた瞬間。
世界と関わりだし、外交の始まり。
戦争へと進む過程と悲劇
戦後の日本構築

といったものがつまっており、

あらゆる現在進行形の日本の姿の原型が詰まっているからでしょう。

そのときに重要なことは、歴史をたくさん見るということ。

右翼的に戦争を美化したり、

左翼的に戦争を卑下したり、

どっちに傾いても、それは歴史の一面を見るだけであるということ。

歴史の本というのはその本を書いた人が取捨択一で集めたものを断片集でしかないこと。

本当の歴史を知るには、限りなくたくさんの歴史情報に触れながら、本当の歴史に近似値を高めるしか方法がないということを認識しておくべきでしょう。

なんか日本の歴史教育って、この辺来ると時間なくて終わるよね。。。

この前の歴史はざ~とやっちゃって、この辺の歴史からじっくりやって、いろいろと考えさせるっていう歴史授業の方がためになると思うんだけどなあ。

この辺知らない人多すぎ。。。


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10年ぶりの初詣 [日誌]

くらいになるんちゃうかい?ってな感じに久々すぎる初詣とやらに行ってきましたよ。
おい!この前初詣に行ったのいつよ?って考えてみると、全然うかばない~い!!

正直、正月はあまり友達とつるむという習慣が昔からなくて、家でぼ~としてることが多かった!中学のころから、仲良い友達はみんなで初詣とか行ってたのに俺は行かなかったな。それに俺は初詣とかの習慣なんてどうでも良いや~、わざわざ混んでるところ行きたくない~!っていう主義でございました。

なので、いかなかったんですよ。おそらく中学校くらいから。。。。

ですが、さすがに厄年周期に入っているため、厄払いでもしようかと思ったところ。でむぎだと行くことになったので、3人でむさっくるしく行ってきました。

行ったのはここ!!3大厄除け大師とされる一角である。西新井大師!!

いやあ~えらそうだね~。3大だってよ。まいっちゃうね~

行ってみたら、意外と混んでなくてよかったよ~。スムーズにお賽銭とこいけたしさ。10年分くらい見積もって300円くらいお賽銭投げてみたよ。10年分で300円ってどうなの?だって?牛丼食えるじゃん!!

お次は定番のくじです!

中吉!!びみょう~ まっいっか

初詣帰りは上野によって帰りました。でむのお勧めで変なバイキングいって失敗したり、雨降ったりとなかなか有意義な時間だったのでは?w 下町っぽいね。アメ横ってなんか、中国の前門や韓国の東大門とかに似てる気がした。まあ、ファッション的に微妙どころってことだね。。。

上野はほぼくっちゃべってただけだったわ~。

話題で登場したA.R様のお話でみんな萎える。司法修習前にオファーがすでに来てる司法系ファームが、接待料理が一人5万だったとか、そこの初年収が1200万円だとか、法律だけであきたらず、一ツ橋で経済学テストが院生も合わせて1位だったとか、もはや雲の上だね~。天才ってのはやっぱいるもんだね~。。。。なんかへこむわ~。きっと比べちゃいけないだろうな~。1200万もらうことになったら、おごってもらわなきゃなあ。GSすら霞むわ~

どうでもええけど、なんか、気づいたら一人の友達からgreeリンクが切れとったわ~。メッセも禁止か削除されてるみたいだし、嫌われてんのかな。やっぱり。こっちは一生懸命話しかけてた分、めっちゃ気分悪いわ~。。そんなことしないで口でいってよ。。じゃなきゃ分からないジャン!!


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sustainableについて [思考]

新年一発目に考えてみた。

お題「sustainable」

今年の全日の議題は「Sustainable tourism」だったわけで、Sustainableと言えば、持続可能な開発とかで使われ始めた環境面と開発面を両立させる言葉なわけです。

でツーリズムも同じく、環境や社会面に考慮した開発がなされなければ持続させることが難しいというわけですね。

これは一見、良い言葉のように思えます。ですが、本当に良い言葉なんでしょうかね?みなさん?Sustainableと聞くと自動的に良い言葉だと思ってやしませんか?Sustainableを疑う心をもっていますか?今日、考えたのはそこなんです。

「Sustainable development」という言葉を否定する意見はあまりないだけに、とある本で否定意見が載っていたことを鮮明に覚えています。それは、以下のようなものでした。

「持続可能な開発という言葉は、本来はこれ以上成すことができない開発が今後もできるようにみんなに納得させるためにブラフとなってしまった。それによって各国に開発を『持続的に』行うことができるのであるという幻想を生み出したのである」

といった意見でした。Sustainableという言葉は、途上国の「開発願望」と、先進国の「環境願望」との対立の折り合いのために生まれた言葉であるという事実を鋭くついた意見だと思います。

本当に「環境」と「開発」は両立できるのか?

という疑問を持たなければならないということでしょう。

途上国はどの国もとは言いすぎですが、先進国並みの裕福さを目指したりするわけです。しかしながら、全ての国が先進国並の生活を送ると、地球が2個半必要であるといわれています。本当に「環境」に配慮したら、途上国には現在の近代化ではなく「環境立国」として、別の国づくりをしてもらわなければ、不可能なわけです。

ツーリズムはどうだろう。ツーリズムが発展して、人がいっぱいくると経済的には良いでしょう。でも、人がいっぱいきたら環境が保てるはずがないのです。どんなにがんばっても、自然環境に人が踏み入ること自体が環境破壊であるから、それと両立は不可能でしょう。その不可能を可能のように見せているのが「Sustainable」なのではないでしょうか?

「Sustainable」という言葉をただ単に受け止めるのではなく、その功罪みたいな面も存在するということを意識する必要性があるのかもしれませんなあ。


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明けましたおめっと! [日誌]

ついに2005年が終わりました。後から知ったけど大厄だったそうで、そりゃあんまり良いことありませんでしたと思って納得するんだけど、そうやって自分の失敗を大厄の責に出来て、今年は良い事があるとか勝手に思ってちょっと気分を良くしてみたりして、都合の良い生物が人間なわけで、そんな生物の一人が私なわけで、昨年の出来事は大厄の責にして昨年を振り返って、今年をがんばろう!!

昨年の主な出来事。

1.1月期、昨年からの精神的負担が最長に達する出来事により、絶不調のスタート。よく考えるとすべての不運の始まりはここからだった。。。

2.全てを忘れて、就職活動まで順調、適当にやってたら内定もらう。4月までは安定期でした。

3.4月、今年は一番勉強する年にする宣言を掲げ、手帳をつかって時間を駆使するという作業をしていったが、挫折することに。鬱病状態。涙。研究会がなあ。。。

4.北京大学への語学研修。楽しかったわ~。

5.EXPO模擬国連を運営。うつ気によりあまりしっかり出来なかったのが心残り。でも楽しかったよ。

6.受験断念。精神的に大学院受験を無理と判断して、やらなかった最大の汚点。

って並べるといろいろあったけど、やっぱり精神的な負担が強まって、大厄って感じの年やったなあ。最初は「今年は1番勉強するんだ!!」って宣言してたのにこのざまです。かなり公開しています。研究会初日から暗雲が立ち込めていたしなあ。今年は昨年たまった運気が返ってくれると良いかなって思ったりする。都合の良い人間にしたっておきます。

今年の目標

1.昨年に遣り残したことを清算する。
 誰かに大切なことを頼んだりするかもしれません。助けが必要かも。

2.自分の将来をしっかりと定め、納得して進路に舵をとる。
 いろいろと相談のってね。

3.しっかりと計画をたて、手帳を駆使していきたい。
 誰か手帳の使い方教えてください。

4.やると言ったら最後までやる!!
 これは重要です。昨年は一つも出来なかった。

と、大人に向けて、一歩ずつ進んでいく大転換な年を目指してがんばります。
みなさんよろしくお願いします!!


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模擬国連とのあゆみ後編 [日誌]

湘南セッションから全日本大会というようにディレク、研究職に興味がもてるようになったのがこの時期であったと思う。模擬国連の全国規模組織化とか組織間関係に悩まされることにも。。。

2003年4月 SFCでの新歓活動をスタートさせる。森君やミッキーが入ってくれて、メンバーもある程度手伝ってくれるが、大変なのはそれからだった。また、初めていおりと出会う。英語が出来ないことを強調するいおり、そして。。。「おもしろそうですね。入りますよ」と言ういおり。衝撃的だった。まさかこいつがここまで模擬国連をやっていくことになるとは想像することなどできるわけがなかった。そして、俺の中でいおりという名前が汚れたものとなった。同時期にくにけんとしても新歓開始し、執行部として行動することに。

↑初めての新歓@ICU

2003年前期 会計の女の子が辞めて、全日で一緒だった子すら何も言わず来なくなり、結局、うらのさんと俺ともう一人の3人だけが当初メンバーとして残り、しっかりとした運営自体が困難となる。ひとりで、情報処理、ディレク、総務などの総役職をこなし、毎週勉強会の資料を作るという日々。そして、メンバーがなかなか集まらないという精神的負担。つらい日々だった。

2003年8月 SFC模擬国連として関西大会に出席。運営はなかなか困難だったが、10人近いメンバーを連れて行くことになった。いおりとりえというSFC二大キャラが模擬国連デビューを飾り、全国のメンバーに衝撃を与える。まさにSFCの陰と陽。

2003年8月終わり、サマーセッションに久々の参加。

2003年後期 りえが3人の9月生をつれて来て、SFC模擬国連が安定期に入る。「楽しい」をもっとーにした参加型の勉強会を毎週政策する活動方針をとる。

2003年12月 全日本大会の安保理改革に参加する。キワダイズムを目の当たりに。SFC模擬国連などの外部模擬国連の扱いが問題となり、全国代表者会合が開かれる。いっせーさん、いっこうくんを中心として、全日本模擬国連構想が提言される。

2004月1月 全国代表者会合が開かれ、全日本模擬国連に関西模擬国連、模擬国連委員会をまとめることが仮決定される。しかしながら、模擬国連委員会の保守派やOBOGの反対から模擬国連委員会側が同決定を反故とする。これは正直言って、むかついた。委員会が最終的に決定権があるなら、わざわざ集まって決定したのはなんだったのか。かんりひどい対応だったと今でも思っている。以降、模擬国連代表者会合は単なる連絡網化し形骸化していく(そうじゃなかったら、ごめんなさい)。

2004年3月、第一回湘南セッションを開催する。初めてSFC模擬国連としての会議を持つ。やった議題は、イラク戦争直線という1年前の設定で、平和のための結集決議が採択されたという仮定の基に行った会議。SFCという立場から議題設定革命をしましたね。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~s03874im/sfcmun/sfc/04shonan/shonan.html

2004年4月、第2回勧誘。まやとか入ってきた。この年の前期まではSFC模擬国連の安定期でしたね。後期からやばめになってきました。俺のせいでもあるけどね。ごめん。

2004月8月 関西大会に出席。核軍縮会議でこゆいメンツが勢ぞろい。

2004年12月 全日本大会で経済社会分野の国連改革といういかにもマニアックな議題を設定し、ディレクに。模擬国連活動の集大成として作りました。

2005年、模擬国連はときどき行く程度に減少。しかし、EXPOで模擬国連をやるという事業にのみ参加しましたね。そして、12月のETOSOCにて最後の大使を終了です。長かったですね。やりすぎたかな。

後気になっているのはSFC模擬国連の現状をどう良くするかだけです。いろいろなキャラがSFCにきたけど、組織的に模擬国連を作っていこうという気持ちをもった人が少なかったな。なんていうか、ただやりにきたって感じが多いから、最後までこの組織に愛着をもってやってくれる人がいないとだめなのかもしれないね。う~ん。。。


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模擬国連とのあゆみ [日誌]

模擬国連に関わってからかなりたちましたね。やばいw

2000年4月、成蹊大学時代。大学の本屋においてあったサークル紹介雑誌にたまたま載っていたのが模擬国連でした。いろいろな大学が集まったり、国際関係とかかっこいいなあとか思って興味を持ったのが最初です。別に国連なんてしりもしないし。。w

模擬国連国立研究会のHPからメールで連絡してみて、1日シミュレーションに出ることにしたのが初出席。そこから国立研究会に所属することになりました。

2000年8月終わり。初の遠征会議で九州サマーセッションに参加。恋保理ネタを爆発させて帰国(爆)。もやもやした一月をすごし、爆発的破局。。ち~ん。

2000年10月、最初で最後の全米選考会に参加。私的トラブルよりあぷらいからノンアプへと変更、さらに選考会でえらい問題を起こし、今とは違った意味で名前が全国区に拡大。すさまじい問題児として大成する。

2000年度国立後期、全米を引きずり、あまり参加せず。意識の中で模擬国連を辞めることを決意するようになるが、ずるずると決断できず。つらい日々をすごす。模擬国連暗黒時代突入。

2000年12月。最初で最後の北陸大会参加。田口君(2002年度支部長)とかあれから一度も会えなかったけど、北陸支部のよい人たちとめぐりあった。もう一回あってみたいな。錦さん(九州支部長)から衝撃の事実を聞かされもしたw

2001年4月。模擬国連国立研究会を退会。なあなあにしていた模擬国連でしたが、精神的なものから大学に行っておらず、留年し。大学を辞めることを決意したことをメンバーにつげる。なかなか告げることができなかった。。。成蹊大学退学。

2001年度 空白の1年間

2002年度3月、慶応義塾大学総合政策学部に入学が決まる。国立研究会の強化合宿に顔を出しに行く。1年ぶりの模擬国連となる。

これより正式に国立研究会に復帰することを決めて、新しい模擬国連との日々がスタートすることになる。

2002年4月国立研究会に新たに入って再度活動することになった。前回とは違ってまじめに活動自体に精進しようと思いましたねw。しかし、古い国立研究会同期と新たな国立研究同期との間にはさまれつつ、アイデンティティ形成をどうしてよいか悩んだ時代でもあります。今のでむの状況と同じだなw

2002年8月。初めての全国規模大会として関西大会に参加する。このとき、なんと初めてWPを作ったり会議で動きを作ることができる。大会後でむとさんしと3人で京都めぐりをする。でむが敬語とため後をくしして、俺との関係が難しそうにしていたっけ(爆)。俺も最初の1年間は同期の1年生とあまりなじめず苦労しました。敬語使われるしw

2002年12月 初めての全日本大会に参加。西山君とグループをひっぱるという役割を初めてやってみてDRを作る。会議参加の転機となったと思う。新人賞的なものをもらった。でも新人なのかはあやしかったw。 同時にSFCのメンバーを全日にきてもらい、SFCでも模擬国連を作ろうという方向性が出てくる。

2003年1月。SFCで模擬国連を結成するべく、全日メンバーを中心に始動開始。湘南模擬国連だかSFC模擬国連だか名前があやふやでした。SFC内で興味ある人をあつめだし、10人強があつまり、自分を中心にメール連絡網を形成する。SFCに団体登録をする。

2003年1月~3月。SFCでの会議のために様々な準備をする。同時に国立研究会の情報処理としての活動をこなす。

2003年3月、4研合同シミュにSFCの何人かを連れて参加。頼りにしていた友達がメンバーを辞めるという自体もあって大変だった。


↑4研合同シミュ後

なんだかんだいって、国立の執行部とSFC模擬国連立ち上げという2つをこなすことになり、このあとはかなり苦労しました。でも、2003年は大学生活の中で責任感をもって、必死に何かをやるということが自分の土台にもなった1年となったと思います。


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模擬国連もおわり。 [日誌]

第17回模擬国連会議全日本大会から帰ってきました。
ついに、模擬国連での会議参加も終わりでしょう。

今回の会議が終わりかな

閉会式を目の当たりにしてそういう気持ちが強くなった。

もう一年がたったんだね。

3年生のときにまさかのディレクで全日本大会に参加。いろいろと会議設定を悩んで、BGをつくって、リサーチガイドをつくって、がんばって、そして、最後にディレクスピーチやべスデリ発表から集合写真撮影まで。。。いろいろな情景が思い浮かんでくる。

メトロポリタンのその場所は一年前と同じ景色が前に広がっているでも、そこにいるのは一年後のディレクたちと新・旧を中心とした若いメンバーだった。一年座っていたその席にはたもんが(遺憾にもw)座っている。

なんて時がたつのは早いんだろう。一年がたってしまったんだと実感する。あのときは模擬国連の集大成という形で会議を作ったので、力をめいいっぱい使う模擬国連としては最後というつもりでした。

なので今回は別にすごいがんばろうという気持ちを持っているのではなく。模擬国連会議に参加するデリとして、会議参加者として内側から、後輩達ががんばってやってたり、紛糾したりしているのを純粋に見ていたかった。以前はディレクだったからね。

あえていうなら、中心的にやってる人だけでなく、みんなが楽しんで会議して、文言作って、がんばってることが反映されるようにっていうのを手伝うだけでいいやって感じでした。若い人たちががんばって、模擬国連を楽しんでる姿をみると、とってもうれしかった。自分が感じたように、彼、彼女らもこの経験から何かを得られたらと思う。

これは何人かから俺が何を考えていたのか分からないといわれたし、感じられていたから書くんだけどね。特に動いてなかったのは、別にすごい裏があったわけじゃないのですね。あゆみのように存分に力を発揮するのもよいし、いろいろな模擬国連の楽しみ方があるということですね。4年だからね。みんなががんばってる姿のほうがうれしいのです。1年生や高校生も置いていかれないで、楽しめんでほしいとか思うのです。そんな会議でした。

・・・・・・

閉会式が終わりました。

これで大使も終わりかな。何かを実感する。

そして、最後に運命を感じる。

懇親会にいって、二次会にもいって、いろいろと時間がたって、最後にたどり着いたのはマックだった。最初は二階にいって、席がなくて、地下にいったときに気づいたんだ。

「あ、ここって来たことがある!!」

そこはちょうど3年前に来た場所だった。俺は1年生で初めて全日本大会に参加したときのことだ。最後にたまたま残ったメンバーでそのマックの地下に行ったんだった。そこには、1年生の自分がいて、SFCの友達のりうがいて、高校生が数名という若いメンバーがいた。その高校生のうち、森君がSFCで模擬国連をやり、みどりちゃんが国立にきた。もう彼らも3年、2年になっている。

その全日本大会をきっかけに、SFCのメンバーで模擬国連を作ろうという機運が高まった。俺はSFC模擬国連を立ち上げることになった。それが3年前の1月の話。

何も国連のことを知らなかった自分は必死に勉強をして、覚えて、自分を鍛え、一方でメンバーを一生懸命集めた。何もかもが必死だった。それからSFCMUNを軌道に乗せるにはとても大変な思いをすることになった。だけど、その経験が今の自分を形成することにもつながった。必死に何かをやることを学んだ。自分が作ったものを喜んでくれるとうれしくてたまらないと思えました。

辛かったけど、SFCMUNを作ることで新しい人間のつながりを作ることができた。りえやいおりが俺の代わりに名前を広げてくれるようにもなって、ほかの模擬国連にも認知されるようにもなれた。湘南セッションを開いて独自の会議を始めて作ることができた。

それをきっかけに、1年後には全日本大会の会議を作ることとなった。

そして、さらに1年後の今日、最後の全日本大会が終わった。

あのときのマックの地下にいる。そして、そこには新たに模擬国連サークルを立ち上げていこうという長岡からきたきみちゃんが熱く語っている。新たな種が、またひとつ飛び立とうとしている。俺はSFCMUNを作った経緯を彼に伝える。バトンは次の世代に移されていく。いろいろな時間の過程が、頭を駆け巡る。

どうやら私の模擬国連の活動もどうやら終わりが近づいたようです。

一緒に私の道程にかかわり、手助けをしてくださったみなさま

今まで、ありがとうございました。


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いっぱいベンキョウ! [学業]

昨日は今学期で一番、勉強できたかもしれない。
なんか、ずっとやるきない病でしたが、ちゃんともできるんだね。

昨夜から今日の夜7時くらいまで研究室に一人でこもって、ずっと
卒論やってました。昨日読んだ本。

ジョン・トムリンソン『グローバリゼーション:文化帝国主義を超えて』(青土社、2000)
サスキア・サッセン『グローバリゼーションの時代:国家主権の行方』(平凡社、1999)
ローランド・ロバートソン『グローバリゼーション:地球文化の社会理論』(東京大学出版会、1997)
トニー・スパイビ『グローバリゼーションと世界社会』(三嶺書房 , 1999)
マーチン・ショー『グローバル社会と国際政治』(ミネルヴァ書房、1997)
デヴィッド・ヘルド編『グローバル化とは何か:文化・経済・政治』(法律文化社、2002)
ジョセフ・S・ナイJr., ジョン・D・ドナヒュー編著『グローバル化で世界はどう変わるか : ガバナンスへの挑戦と展望』(英治出版、 2004)
ジェームズ・H・ミッテルマン『グローバル化シンドローム:変容と抵抗』(法政大学出版局、2002)
アンソニー・ギデンズ『暴走する世界:グローバリゼーションは何をどう変えるのか』(ダイヤモンド社、 2001)
ピーター・シンガー『グローバリゼーションの倫理学』(昭和堂、2005)

飛ばし読みも多いけど、かなり吸収できたわ。なんかグローバル化論は把握できた感じ♪

卒業論文は結構いけてるものができそうな予感がしてきました。

そして、2つの論文ができる予感がします。基本はひとつなんですが、2つ作って、つなげていくイメージがあります。

1つが論理面を重視したもの。

グローバル化論からグローバル・ガバナンス論の先行研究整理がメインだけど、現在ある問題意識は、グローバル化論を前提としてグローバル・ガバナンス論が構築されているはずなのに、グローバル化論とグローバル・ガバナンス論の間に断絶が見られるのではないか?というもの。その実、どちらもどちらの存在に触れたり、内容を含んだりして入るものの、完全に相互の論理的なつながりをもってはいないというのが、先行研究を見ている限り感じられます。これを論理立てて説明して要ったら、かなりオリジナリティが出てくる。独自のグローバル・ガバナンス論さえ作ることができるような、できないようなそんな感じですね。

2つ目は、それを土台とした、国連改革とグローバルガバナンス論とのつながりを示す論文。こちらは1つ目からつなげて、さらにGGの実証検分をするような内容。1つ目を作るときに、最後にGGの中で国連の位置づけを明確化した上で、新たな問題意識として、国連改革論とGG論とは断絶的なものであったはずが、GG論の発展とともに、それらがほぼ同義で捉えられるようになってきている。という認識と、それはなぜか?というところから、GG論の実態的側面を国連改革から論じていくもの。

今のところのよそうだけど、全部あわせると100ページは超える予感がする。
読まなきゃいけない論文も多い。

グローバル化論(だいたい文献はそろったと思う。)
グローバルガバナンス論(やばい英語ばっか。)
国連改革論(これも英語ばっか)
グローバルガバナンス論における国連論(えいご~)

少なくとも、この4つの分野の先行研究が必要になってくる。さらにマルティラレラリズム論や、国際機構論や、R・コックスの、クリティカル論と問題解決論とか、いろいろと見ないと。。。


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在しもしも的家

第2回鍋大会が決行されたらしいよ。

俺は急用ができてめっちゃおくれて参加。

何やら黒いトークで盛り上がる婦女子のみなさま。

裏で自分が何を言われているやら怖いわ。。。

って正直思ったw

そして、みなさまがタクシーで帰った後。

まあ現在なわけなんですが

ひるまん+しもしもがどっちもさっさと寝やがって。。。

俺は何をして良いか分からない。

とりあえず帰ってよいのかしら、と思いつつ。

完全にタイミングをのがした感が否めない。

ちっきしょ~~~!!!!


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ぱそこん壊れる

つ~ことで、しばらくやばいです。もう踏んだりけったりや!!!
データがない!!!卒論かけん!!!!


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